今年も「広島瀬戸内シニアリーグ」主催による少年ソフトボール大会が無事開催されました。
今年は第15回を数え、ようやくこの大会本来のカタチである「16チーム」での開催が実現しました。
この16チームでの開催は、古鷹スポーツ少年団の監督でもあり、当リーグの会長であった故・伊藤雄二氏の…
「てっぺんは一つだけ!」
「勝負は一回こっきり!」
という、強い信念の基で彩られた、現代のソフトボール大会では珍しい「一発勝負の完全トーナメント大会」でした。
それだけに、コアなソフトボールファンが多い地区として知られる呉地区のソフトボール大会では、大変貴重な大会でもあり、大変人気の高かった大会でもあります。
しかしながら…今年の1月、故・伊藤会長が亡くなられる寸前のお言葉の中で、
「古鷹スポーツ少年団を頼む。
シャークス(広島瀬戸内シニアの愛称)を頼む。
そして、連盟(呉地区少年ソフトボール連盟)の子供たちのことを…頼む。」
と、あの気丈で屈強な精神を持つ会長が、大粒の涙を流して、現会長の佐藤氏の手を握りしめた…と伝え聞きました。
「あの人(伊藤会長)」は僕たちにとって、大きな「太陽」であり、かけがえのない「象徴」でした。
今だから申し上げるのですが、伊藤会長が亡くなられ、取り残された僕たちは行き場や生き甲斐を大きく失い、正直、何もかも「やる気」が失せていました。
それはまるで、灯台の灯りを失い、大海原に投げ出された小さな小舟に揺られるような… そんな心境だったと思います。
僕たちは何を頼りに… 何を目標に… そしてこれからどうやって戦ってゆけば良いのだろう…
不安と寂しさが入り交じり、我々スタッフの心の中に「今年からソフトボール大会の開催は…もうヤメよう…」そんなオモイが芽生え始めていました。
しかし。
先ほどのあの「亡くなる寸前の伊藤会長のお言葉」を、現会長の佐藤氏から伝え聞き、僕は不覚ながら涙が溢れてしまいました。
自分の命が尽きようというのに、それでもなお、最後に残した言葉が「家族」や「自分の子供たち」を按ずる言葉ではなく、古鷹スポーツ少年団や広島瀬戸内シニアの球団や子供たち…
そして、呉地区少年ソフトボール連盟の子供たちの未来を按じて、生涯の幕を閉じられたのです。
この話を聞いて、僕は、この方にとっての「家族」は、古鷹スポーツ少年団というソフトボールチームや、広島瀬戸内シニアという中学硬式野球チームであり、この方にとっての「子供たち」は、これらのチームの子供たちはもちろん、青空の下で、いつも元気に白球を追い続ける「呉地区少年ソフトボール連盟に属する全ての子供たち」だったんだなぁ…と。
子供たちのことを想うその愛の深さに、改めて心酔しました。
そしてようやく「大切な原点」と「本当の伝統」を思い出すことが出来たのです。
今日の僕たち(広島瀬戸内シニアリーグ)が、こうして「野球」をさせて頂くことができるのは…
紛れもなく、呉地区少年ソフトボール連盟をはじめ、たくさんの小学生球児を育て上げてこられた「各地域の小学生チームの皆さま」のお陰なのです。
そのチームや指導者たちが、大切なオモイで種を蒔き… 水をやり… そして様々な人たちから深く、暖かく、かけがえのない愛という名の光を浴びて、今日の「小学6年生の子」たちがいる。
そんなとてつもなく大きな「オモイ」や「愛」で、子供たちを一生懸命育てて下さったチームの皆さまに「恩返し」をすること。
それがボクたち広島瀬戸内リトルシニアリーグの「大切なの原点」なのです。
そして、この江田島市や呉市に1チームでもソフトボールチームが在る限り…
ボクたちはいつまでも「この大会」を維持し、そして「未来の宝である小学生球児たち」を迎えてあげなければならない。
それがこれまでの6年間、大切に大切に子供たちを育てあげてこられた「各チームの宝」を大切に引き継ぎ、そして3年後の高校へとバトンを渡してゆくことが、我々にできるたった一つの「使命」であり…
それがボクたち広島瀬戸内リトルシニアリーグの「本当の伝統」なのです。
「それ」を思い出させてくれたのは…
伊藤会長の「最後のコトバ」であり…
そのコトバを、包み隠さず話して下さった佐藤則昭・現会長でした。
僕はこの人たちと出逢えて本当に良かった。
この人たちと「野球」ができて良かった。
余談ではありますが、実は毎年この週(11月の第一土曜、日曜)は…
当リーグの友好チームでもある広島北シニアさんが主催する、大切な大切な大会があります。
昨年までは、我々もこの大会にエントリーするのを愉しみにし、勇姿を奮って参りました。
そういった事情もあって… 実はこのソフトボール大会の開催を一週…二週…とずらしながら、ここまで騙し騙し運営してきました。
その結果が、毎年減少してゆく参加チームの数でした。
そして今年…
「故・伊藤会長の最後のコトバ」を聞いたボクたちに…
もう迷いはありませんでした。
「今年から… 広島北さんの大会は辞退しましょう!」
誰から発された言葉ではなく。全員一致で。同じ意見となりました。
ボクたち広島瀬戸内シニアのスタッフに…
「大切な原点」と「本当の伝統」が芽生えた瞬間でした。
正直、広島北さんの大会に出れないのは…本当にツラいことでした。
しかし、勇気を振り絞って広島北の元木事務局長に全てを話したら「球団の伝統を大切に頑張って下さい!」と、笑顔で!快く!受け止めて下さいました。
そしてこの新しい門出を機に、一つの歴史に終止符を打つ決意も決めました。
それがこの「16チーム」による「てっぺんは一つ」という「完全トーナメント大会」の廃止です。
実は呉地区少年ソフトボール連盟には
「一日の試合数は最大三試合まで」
という厳格なルールがあります。
もちろん我々は呉地区少年ソフトボール連盟の笠の下で活動しているわけではありませんので、このルールに従わなくても良いのですが、先ほども申し上げたように、今日の我々がいるのは、この「呉地区少年ソフトボール連盟」のお陰であります。
そして毎年、当リーグの子供たちの8割~9割は、このソフトボール連盟に属するチームの子供たちで形成されています。
そんな「母体」のような組織が、きちんとしたルールを設けている以上、それに従うのは当然のこと。
と、判断したためです。
それにより、これまでは16チームが「瀬戸内シニア旗」という、優勝旗一つを争奪する!
という主旨のもと開催されていましたが、
今年からは、16チームが「広島瀬戸内シニア旗」と「シャークス杯」という、優勝旗と優勝カップの2つを争奪する!
という大会形式へと生まれ変わりました。
最初は戸惑いのあった各チームでしたが、直ぐにご理解して下さり、お陰様で今年も白熱した大会を開催させて頂きました。
今大会の栄えある優勝は…
Aブロック優勝(優勝旗)は、明徳レッドブリッジさん!(2度目)
Bブロック優勝(優勝杯)は、Gビクトリーさん!(初優勝)
で幕を閉じました!!
来年も再来年も…5年後も、10年後も!
我が広島瀬戸内シニアリーグと、呉地区少年ソフトボール連盟がある限り!
いつまでも…いつまでも… 「このカタチ」で! そして「この江田島」で!
皆さまがお越しになることを愉しみに、お待ち申し上げております。
果たして、この精鋭チームから何名のシャークス戦士が生まれるでしょうか♪
今から非常に楽しみです!!
各チームの関係者の皆さま。この度はご参加頂きましてありがとうございました。
そして伊藤会長!
ボクたちはいつまでも貴方が残してくれた「スピリッツ」を忘れず、
この江田島に!この呉に!
そしてこの広島の野球が日の本一と称されるよう、貴方の意志を受け継いでいきます。
これからもその青く澄み切った空の上から、ボクたちのことを見守っていて下さい。
あなたが築いた原点と、あなたが守り続けた伝統を胸に、これからボクたちはあなたが歩んでこられた「野球道」を歩んでゆくことを誓います。
この度は大切なことを教えて下さり、本当にありがとうございました!!
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