経歴
- 2005年4月…広島瀬戸内シニア|入団(第14期生)
- 2007年9月…広島瀬戸内シニア|卒団
- 2017年9月…コーチ|就任
学歴
- 広島県立広島工業高等学校|卒業
- 読売ジャイアンツ|2011-2014
主な記録
【広島瀬戸内シニア選手時代】
- 広島瀬戸内シニアの選手時代は、常時130km台の速球を武器にエースとして活躍。
打っては、強烈なパンチ力を備えながら、ピッチャーゴロでも内野安打にするほどの驚異的な俊足を持ち、最強のトップバッターとして各チームから恐れられた。
【高校野球時代】
- 県立広島工高では、1年時の春から遊撃手、夏から一塁手としてスタメン出場し、その後二塁手に転向。
2年時の夏からは、持ち前の俊足を生かし中堅手としてプレーし、秋から再び遊撃手に転向した。
3年時の春には4番に座り、同校を中国大会優勝に導き、「県工の和田」としてその名を全国に轟かせる。
3年時の夏は県大会準々決勝で敗退し、甲子園出場は果たせなかった。
【ドラフト指名】
- 2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にて読売ジャイアンツから育成1位指名を受け、広島瀬戸内リトルシニアOB選手として、初のプロ野球選手となった。
【プロ野球時代】
- プロ入り後は、ファームで遊撃手のレギュラーに定着するも、2013年10月31日に育成選手の規約に基づき、10月31日自由契約公示された。
しかし、11月12日育成選手として再契約したと発表され、2014年3月14日、両打ちから右打ちに登録変更された。
同年、10月1日に球団から戦力外通告を受け、故郷の呉市に帰郷し、現在に至る。
【選手としての特徴】
- プロには両打として入団しているが、高校時代は2年時の春から右打に専念していた。
プロ入り後の2014年から、正式に右打ちとなった。
本職は遊撃手だが内外野を守れるユーティリティープレイヤーで、木村拓也二世の呼び声も高かった。