2022年11月6日。
この日は、今年で30年目を迎える我がチームが、8年前にチーム初のイベント行事として発足した「第22回広島瀬戸内シニア旗シャークス杯争奪ソフトボール大会」の開催日であった。
この大会は、私が今も崇拝して止まない、当チームの初代会長であり、現球団終身名誉会長の、故・伊藤雄二氏の強いオモイで企画立案された伝統あるソフトボール大会である。
この大会は、呉・江田島地区の少年ソフトボールチームを対象に「てっぺんは一つ」という、強いコンセプトを元に開催され続けてきた。
「てっぺんは一つ」
僕はこの言葉が、たまらなく好きである。
しかし、その運営は実に「壮絶」であった笑
先の、呉・江田島地区の総勢50は数えるであろう(もちろん当時の話)チームを対象に、厳選に厳選を重ねて16チームに絞り、我が専用グランドを4等分に分け、最近主流の「リーグ戦」ではなく、完全勝ち抜きトーナメント制に拘り、「てっぺん(優勝)を一つ」に決める、まさに正真正銘「ガチンコ大会」であった。
ここまで聞くと「へぇ~スゴいじゃん」と思われがちである。
が、しかし。驚くべき事なかれ。
実はこの過酷な大会を「たった一日」で行っていたのである笑
ということは、16チームのトーナメントで山は4つ。
幸い、コートは4面あるから運営は1会場で問題ない。
しかし、それを決勝戦まで行うとなれば、運営側の一日の試合数は実に5試合を提供することになる。
更に、決勝戦(もちろん三位決定戦も含む)に進んだチームには、実に「一日4試合」を戦ってもらうことになる笑。
開会式は8時。閉会式は18時に及ぶことも。
時期は11月。当然、17時には真っ暗!
しかし、我が球場には、必殺!ナイター設備がある笑
小学生の子どもたちが、11月の寒空の下でナイターでソフトボールの頂点を極める…
恐るべし… 伊藤雄二!
僕はやっぱり、逆立ちしても一生この人には敵わないだろう笑
しかし、やっぱり時代の波には勝てず…
この「過酷(聖域)」な運営を、少年ソフトボール協会や連盟が黙って見ているはずもなく…
球児の肩や身体を守るため、全チーム「一日の最大試合数は3試合」まで。というお達し(新ルール)が設立された。
そりゃそうかもな。
朝8時の開会式に出場するには、遠い地区で5時には現地を出なきゃならない。
そのチームが決勝まで残った場合、江田島を出るのが18時前。
家に帰れば20時前。そこからメシと風呂… である。
そんな過酷な一日を、下は小学校1年生から6年生まで、年齢は問わず強いることになる。
運営する我々の集合と解散時間は… どうか想像で判断して欲しい笑(しかも、当日は大会終了後の打ち上げ(飲み会)もあった!)
習い事なんてこんなモンだろ?と、スルーするチームもあれば、この環境オカシイだろ!?と異論を放つチーム(家庭)もある。
そんな新制度の導入に、その「おい。その辺にしとけよ」という警告として、真っ先に肩を叩かれたのは、他でもない。ウチの大会だった。
そのお達しがなされたのは、2014年1月のことである。
さぁ!困った! この年(2014年・第14回大会)の大会運営はどーする!?と。
ウチ(広島瀬戸内)は、良くも悪くも伊藤雄二を崇拝するものが集う、生粋の「伊藤一家」である。
うちのオヤジの「オモイ」を曲げてまで、大会運営は出来るか!と、今大会を最後にシャークス杯を閉幕してしまうのか…
それとも「伝統」を重んじ、カタチや色を変えてでも、この大会を継続し、後世まで継承してゆくのか…?
連日、当時のスタッフが集まれば、朝早くから日が暮れるまで、その「決断」に討議が尽くされたことを今でもよーく…覚えている。
しかし… 結論は出ぬまま、8月のリトルシニアの卒団記念大会を迎えようとしていた。
その年、体調を崩し、とても60代半ばの風貌とは思えぬ、がっちりした体系がみるみるやせ細り… シャークスの試合にもほどんど顔を出すこともなかった会長の姿があった。
僕は嬉しくなり、会長の下に訪れ、今まで聞いて欲しかったこと… バカ話… 近況など、とにかく夢中で話したのを今でもハッキリ覚えている。
そして、話が一段落し、会話に一時の沈黙が訪れるのを待っていたかのように… 会長がゆっくりと口を開いた。
まぁ…ええがに…やってくれぇや。
まるで、見透かされているようだった。
この一家で、誰もこの人を慕わない人などいない。
この人の「意思」と、この人の「オモイ」を俺たちが「カタチ」にし、そしていつまでも続く「未来」へ、子どもたちの夢と笑顔を届けたい…
そんなオモイで集まる者たちばかりだったからである。
その「オモイ」に誰も異を唱え、疑問視する人間は… このチームにはいない。
しかし、いつの時代も、時と流れによって、姿や色を変え、柔軟な姿勢で変わってゆかなければ、守れない「大切なモノ」もある…
そんな「歯痒さ」も、誰より一番理解していたのは、もしかしたらこの人だったのかも知れない。
その「会長を慕う絆」と「現実という歯痒さ」の狭間で苦悩している僕たちの「心」や「苦しみ」を全て理解し、そして「我々が口にする前」に自分から切り出してくれた、そのオヤジの優しさと大きさに改めて胸が熱くなった。
はい… と答えることが精一杯の僕に、オヤジは今まで見たこともない優しい眼差しでこう続けた。
「ケツ割る(やめる)ことが一番いけん… 毎年、ようけの子どもらが島に来てくれるんじゃ…」
そして… 右膝に手を置いていた僕の手の甲を、上から強く握りしめ…こう続けた。
「オマエのやりたいようにやりゃあエエ。シャークスと、大生(伊藤監督)を頼む」と。
あの、熊のような大きな手の平はそこにはなかった。
細く…小さくやせ細り、少し乾いたその手の平の感触に… 僕は涙が止まらなくなった。
想像していた手の平より遥かに小さい手だったけど… でも、想像の数百倍、温かく… そして優しい手の平だった。
僕はただ頷くことしかできなかった。
何度も何度も頷くことしかできなかった。
「それ」しか… できなかった。
そして「それ」が…
僕と偉大なるオヤジとの「最期のお別れ」となった。
その翌日… 僕はスタッフ全員に、こう告げた。
「シャークス杯は…絶対やりましょう! 絶対になくしてはならない! カタチを変え、色を変えても!この大会を楽しみにしているチーム、そして子どもたちのために!
そして、この島に戻ってくるたくさんの教え子のためにも! 絶対になくしてはならない。
今度は僕たちの手で、僕たちのオモイで「新しいシャークス杯」を作りましょう! それが僕たち(広島瀬戸内リトルシニア)の「使命」です。」
と。
誰もが弾かれたように「賛同」してくれた。
きっと誰もが「同じオモイ」だったに違いない。
「この大会(2014年・第14回)を最後に「てっぺんは一つ」大会は終わると宣言しましょう。
そして、来年から… シャーク杯は新しい大会になる!と宣言しましょう。大会名も、敢えて「シャークス杯」という名前を刻みましょう!(第14回までの大会名は広島瀬戸内シニア旗争奪少年少女ソフトボール大会だった)」
と告げ、全チームにシャークス杯は継続する!来年から大会内容も大きくリニューアルする!と、開会式で宣言した。
第14回大会。
14年続いた伝統ある「てっぺん」は、横路若虎がV2で幕を閉じた。
準優勝は、伊藤会長の竹馬の友であり、盟友の大上監督率いる、仁方Bだった。
オヤジがこの大会を見届けてくれていたのかはわからない…
どこかで見ていてくれていたのかも知らない…
しかし、その2ヶ月後の2015年1月9日…
あの人は遠い空へと旅立っていった。
まるで、この大会の最後を見届けてくれたかのように…
その日からというもの、まさに寝る間も惜しみ、寝ていても夢の中で討論し、仕事中のパソコンを打つ手、ハンドルを握る手の先にはいつも、新しいシャークス杯、NEOシャークス杯の事ばかり考えた。
何度も何度もアイデアが湧き、何度も何度もこれじゃダメだ!と紙をクシャクシャに丸めては投げ… それこそ何度も何度も天国のオヤジの顔を浮かべ…相談しながら…
そして出来上がったのが… 今のこのカタチである。
今大会は、オヤジが旅立ってから、今年で7回目のシャークス杯だった。
オヤジが創り、オヤジが愛したシャークス杯は、あの頃と全く変わらないくらい、最高の笑顔で子どもたちが溢れかえっている。
そして、オヤジが愛した江田島に、オヤジが知らない若者たちが、今でも「オヤジの意思」を引き継いでくれている。
オレもオヤジの7回忌の大会を最後に、この大会の第一線から退いたけど…
見ててくれてましたか?今日の子どもたちの笑顔を… 青空を…
そして瀬戸内の小さな島に響き渡る… 未来のプロ野球球児たちの元気な声を…
あの日、あの時… あなたから受け取った「大切なたすき」は…
僕たちは、今でもこうやって大切に守っています。
そしてこの大会で、それを象徴する「運命的なシーン」と出逢えた。
この大会の優勝を飾ったのは「6年生がひとり」しかいないチームでした。
しかも、このたった一人の6年生は、足の故障で、何とか歩行ならできる。といった状態の選手だったのです。
通常この時期、最上級生の6年生のいないチームが勝利を重ねてゆくことは「不可能」に近いほど厳しい。
しかし、このチームは破竹の勢いと「なにか」に突き上げられながら勝利を重ね、このチームを決勝まで導いてきた。
そしてこの大会は… 初づくしのオンパレードであった。
なんと、決勝戦の両コートで、史上初の「最終回まで0-0」という名勝負だったのである。
そして、これまた史上初の「両決勝戦がタイブレイク」という劇的なシーンへと縺れ込んでしまったのである。
6年生がいないチームは後攻。
タイブレイクでは非常に有利な条件である。
しかし、3試合とはいえ、5年生以下の子どもたちにとっては、3試合目のタイブレイクは、もはや体力の限界であろう…
8回表の相手チームの攻撃。
無死満塁から先頭打者が放った打球は痛烈なショートゴロ!
しかし、この打球はショート真っ正面。
球場には「よしっ!」という歓喜の声と、「あぁぁー!」という落胆の声が入り交じる。
しかし、ここでショートの子は捕球を焦ったのか、打球が速すぎたのか、とにかく打球をファンブルしてしまった!
しかし、この子は気を取り乱すことなく、本塁を諦め、一塁に送球し、打者をアウトにした。
ここで、球場にまたしても「2つの声」が入り交じる。
「よーーし!よう一つアウトを取った!」という声と、「あぁ…勿体ない。チョット焦ったんかのぅ…」という声である。
正解はないことを前提に述べるとすれば、僕はこのとき、あきらかに「後者の声」だった。
一見すると、前者は前向き。後者は後ろ向きな発言である。
しかし、僕はある二つの理由で「後者の発言」が出てしまった。
その理由の一つ目は、「よう1個取った」というのは、明らかに「勝ったときに使う結果論」なのである。
スポーツは結局、勝ち負けの競技だから、1個取ろうが2個取ろうが、それが結局「勝ち」に繋がらなければ全く意味はない。
そして2つめの理由が、そのショートの子が「明らかに」悔しそうで、自分のプレー(弾いてしまったこと)に、もの凄く後悔していたからである。
一見すると、切り替えができてない「ミスを引きずっている」行為に見える。
しかし、小学生はこれでいい。
つか、小学生なら「これくらい」じゃないと上手くならない。
このショートの子の表情を見て、うん。この子は上手く導けば(上に上がれば上がるほど)もっと上達するし、ここを1点で凌いだならば、多分このチームが勝つ。と確信した。
そして、ここを見事に1点で凌いだ。
そして、次の攻撃に備える、そのチームのベンチを見た。
すると、バットを握っていたのは「歩行がやっと」の、このチームで「唯一の6年生」の姿だったのである。
ほぉ~~ぉ… 小学生ソフトボールチームと侮るなかれ。なかなかどうして。すんばらしい「粋なこと」を演出してくれる♪
この瞬間、このチームは「勝って」も「負けて」も、大きな「利」を得ることとなる。
勝てば、6年間、ずーーっと頑張ってきた「たった一人の6年生」がヒーローとなり、エラーをした、あのショートの子の「一つ取ったアウト」が英断となり、双方の決断と結果が共にWinWinで終われる、最高のフィナーレが待っている。
対して、もし負けたときも、打てなかった(チームを救えなかった)6年生は、結局、一番怖いものは「ケガ」という、試合に出られない悔しさと怖さを知り、ファンブルしてしまったショートの子は、どんなに7個の0を積み重ねていっても、たった1個の焦りとミスで全てが終わってしまう… そして何より、先輩に勝利を届けてあげることができなかった…という悔しさと後悔で、共に大きく成長させてくれる「大きなきっかけ」となるだろう。
僕は不謹慎ながら、勝利の行方などそっちのけで、野球の神さまは、一体どっちの「ご褒美」を選ぶのだろう…という方ばかり気になり、久しぶりにワクワクした気持ちになった。
会場はスゴい歓声である。
さすがの6年生選手も、初球こそ緊張からか、全く手が出ない。
そして2球目… 明らかに振り遅れの一塁側へのファウルである。
3球目…4球目…と共に振り遅れではあるが、明らかに「ファウルの角度」が鋭角に変わってきた。
この子の「学習能力」が少しだけ働いてきている証拠である。
この「匂い」に相手バッテリーが気付き、次の球でチェンジアップで落としてくるか…
いやいや…ここは勇気を持って直球一本に絞り、もう1段始動のギアを上げて、タイミングをアジャストしてくるか…
どっちにしても、「次の1球」で勝負が決まる!と息を呑んだ瞬間…
まるで野球のお手本のような、きれいな軌道を描き、センター返しの見事な一発で試合を決めた。
歓喜のBコートで湧くなか、僕は気付けばその子の元へと歩み寄り、
「よう打った!野球は楽しかろうが!この一打は色んなモノが打たせてくれたことを忘れるな!」
と、その子の頭を撫でていた。
おっと。出過ぎた真似を…と我に返り、そそくさと退散したが、僕はBコートを後にしながら、夕暮れに赤く染まった空を眺めながら、天国のオヤジに呟いていた。
「やっぱ…野球って… 楽しいっス。縁とか…繋いてゆくコトって… こうゆうコトなんですよね」と。
たったひとりしかいない6年生のチームの勝利で終わったあの試合…
7回表にファンブルした子は…
たったひとりの6年生選手の弟だったという。
兄貴の背中をずっと見続けてきた弟…
そして、その弟の悔しそうな表情を読み取り… その弟のミスを救った兄貴…
そして…
そのふたりの「兄弟のたすき」を、グランドの片隅で、ズッと眺めていた選手がいる。
その選手こそ、このふたりの兄貴でもある「第29代、シャークスの主将選手」である。
瀬戸内の小さな海に浮かぶこの島の…
たったひとつの小さな小さなBコートというあのグランドに…
3つの「兄弟の絆」という… 細くて強い、キラキラ輝く「たすき」を見ることができた。
この3つのたすきは毛利元就の3本の矢に引けを取らない「まばゆい光」を魅せた。
シャークスとは。瀬戸内魂とは。
こうゆうことなんだよ。奏斗。
オマエがこの一年で創らなければならない「魂」とはこうゆう「たすき」のことをいう。
誰かのミスは、誰かが必ずカバーし、勝ったときは全員で喜びを分かち合う。
良いモノは引き継ぎ… 悪いモノはチーム全員で修正してゆけばいい…
このシャークス杯は
お前の目に。
オマエの心に。
おまえの琴線に。
きっと触れたように思う。
どんなに負けても、どんなに周りがケガで離脱しようとも、いつかは必ず「仲間」は帰ってくる。
その「来たるべき日」まで。
オマエが守れ!
そしてお前が!
指導者を! 仲間を! そしてお前たちを慕う後輩を!
お前だけは心から「信じて」守れ。
お前ならできる! 頼んだぞ! 奏斗!